今日は、お忙しいところありがとうございます。まずは独立時計師のお仕事について教えてください。ここで年に何本くらい作っていらっしゃるんですか?
今回取り上げる腕時計は、CHRONO TOKYO。このブランドは独立時計師の浅岡肇さんが創設したもので、彼自身がデザイン・設計した製品を世に送り出しています。そのラインナップに待望のクロノグラフが登場。本作は既発売の3針モデルから連なる世界観を構築しつつ、浅岡さんの腕時計に対する並々ならぬこだわりが惜しみなく注がれた力作です。 そもそも独立時計師ってどんな仕事なのか? どうやって腕時計を作っているのか? 1年に何本作れるのか? その世界の第一線で活躍している人物が量産型の腕時計を作るとどうなるのか? いろいろ聞きたいことだらけです。幸運なことに浅岡さんが昼夜を問わず腕時計の制作に取り組んでいる秘密の工房にお邪魔する機会を得ましたので、ググッと深いところまでお話を聞いてきました。
1965年生まれ。1990年東京藝術大学デザイン科卒業。その後フリーランス工業デザイナー。2011年より日本初の独立時計師として活動を開始。2013年よりバーゼルワールド(スイス)に毎年出展。2017年世界巡回展「Watchmakers:The Masters of Art Horology」に参加。顧客は世界のハイエンドマニアであり、その正統的な時計づくりが高く評価されている。AHCI(アカデミー独立時計師協会)会員。
東京都内某所の川沿いにあるビルの地下に、浅岡さんの工房はあります。もともとは印刷工場だったということですが、扉を開けるとお洒落でラグジュアリーな雰囲気! 抑制の効いた照明の中、広い空間の奥に視線を向ければ整然と特殊な工作機械や計測機などが並んでいて、映画の中に出てくる秘密の研究施設っぽい感じでワクワクします。この場所で、独立時計師である浅岡さんの手によって独創的な腕時計が作り出されているのです。
今日は、お忙しいところありがとうございます。まずは独立時計師のお仕事について教えてください。ここで年に何本くらい作っていらっしゃるんですか?
2020年は、12月の末までで8本ですね。製造だけに注力すればもっと作れますが、新作を設計したり、CHRONO TOKYOもやっているので、だいたい年に5〜10本の間です。
それは、ゼロから作るんですよね? 全体構造のグランドデザインから各部品ひとつひとつの形をどうするか考えて、設計して金属の塊から削り出して‥。
設計からとなると、それだけでかなり時間がかかるので年に1本以下みたいな感じですが、独立時計師の作家性を打ち出すような作り方では、いずれにせよ、作れる数は限られています。
そう思うと、すごいハイペースですよね。ゼロから自分で考えた部品を、自分で加工してカタチにして、それを自分で組み立てる。もうヤバイ世界ですね!
そう、ヤバイですよ(笑)。
ほとんど、聖書の最初のエピソードみたいなものですねぇ。たった一人で世界を作るみたいな。浅岡さんの腕時計を手に入れられる人は滅茶苦茶ラッキーですね。オーナーになる方々ってどんな人たちなんでしょう?
王族とか、世界最高レベルの時計コレクターとか。そういう人たちって時計を手に入れることへのパッションが全然違うんです。日本にいる僕のところに直接会いに来るし、手付金を無理やりに振り込んできたりして、そうなると引き下がれない感じですね(笑)。
浅岡さんの工房で驚いたのは、昭和時代に製造されたと思われる旋盤などと並んで、精密金属加工を行っている企業の工場でしか見ることのできないCNC加工機が設置してあること。しかも世界シェアナンバーワンとも称される名門 日本ブランドFANUCのマシン。装填されたいろんな形状の刃先が自動的に動き回って、3Dの製造データを忠実にトレースして金属の塊からカタチを削り出します。iPhoneの筐体なんかを作っている加工機を、個人で所有して使いこなしているんですね。
最初に使ったCNC加工機は自作で、それで歯車を作ってみたことが独立時計師への第一歩だったとのこと。一般に加工機は普通に稼働させるだけでは定点座標が室温の変化で数十ミクロンの幅でズレるそうですが、それを0.005mm(5ミクロン!)よりも狭い範囲に追い込まないと腕時計の部品としては機能しないそうです。そんなことをたった一人でやり遂げている浅岡さんは、やっぱり相当ヤバイ人です。
浅岡さんが独立時計師として作品第一号を完成させたのが約10年前だそうですが、それより前にも腕時計を手掛けられたそうです。これは1997年に発売された腕時計のプレスリリース。インテリアショップのモダニカとのコラボレーション企画で、TiCTACで販売されていました。
この頃はグラフィックデザインがご専門だったとか?
いや、その当時グラフィックの仕事はIT系の広告を中心に数多く手掛けていましたが、もともとプロダクトデザインが専門です。
この腕時計の場合、どんな提案だったのでしょう?
企画としてはMODERNICAのイメージに合わせた安価なクォーツというものです。プレゼンは3DCG でおこしたレンダリングでした。プレスキットのビジュアルは、試作品の実写ですが、針などが間に合わなかったので、レタッチで修正しています。こういったことも全部僕がやりました。もともとプロダクト志向があったから、この仕事を受けた時は嬉しかったです。
コンセプトが明解ですよね。“モジュール思想”と“原子核と電子の動き”を立体物で見事に表現しています。これ、個人的に大好物です。
ミッドセンチュリーモダンの基本テーマみたいなところですよね。そこをスコーンと直球でやりました。
モダニカの腕時計は、独立時計師としての仕事よりもCHRONO TOKYOブランドでの仕事に近い印象がありますが、20世紀から21世紀へと時を経て、何か違いがありますか?
CHRONO TOKYOに関してはデザイナー・設計者である自分と部品メーカーという関係になっていますが、2次元図面ではなく3次元CADを渡しているんです。だから、ラグの微妙な形などが完璧に僕のプラン通りにできます。そこが昔と違うところなんです。
図面ではなく3次元CADのデータをメーカーに渡してそのまま作るワークフローは、今でもかなり特殊なやり方だと思います。
ちなみに出だしの一歩は、イメージスケッチなどを描くのですか?
まず完璧に3次元CADでデータを作り込んで、それをコンピュータグラフィックのレンダリングにして完成予想図を作るんですよ。
いきなりそこに行っちゃう?
そうです。
こちらの妄想としては、楕円定規でパースのついた腕時計の細密画みたいなものを手描きで制作しているのかなと‥。
それをやる時もありますよ。これは2021年にアブダビルーブルで開催するエキジビションに向けての新作ですけど。
キター!! これは美術アカデミズムの高等教育プロセスでデッサン力を磨いてきた人の筆致ですね! アール・デコ的アプローチと精密な手描きのタッチが見事に融和している感じが超ナイスです。
東京藝術大學を出た僕としては、どこで差をつけようかというと、こういうことなんです(笑)。グレーの紙に白と普通の鉛筆で描いています。
他の独立時計師さんにも、手描きでレンダリングを描いてもらったら楽しそうです。
ただ、クロノグラフってインダイアルがあって、面取りのキラッという部分があるでしょ。その幅は10ミクロン単位で指定しています。1/100ミリ単位ですね。それが3/100ミリなのか4/100ミリなのかで見た目のバランスは結構変わっちゃうんですよ。インダイアルに限らず、時計のディテールはとても細かいので、手で描いた絵だと限界があるんですよね。
CHRONO TOKYO クロノグラフの文字盤、見れば見るほど凝っていますね! インダイアルの針の形が計測針は先端が矢印になっていて足も長い。インデックスのドットも、ものすごく立体的で盤面との境界線が鮮明に出ています。
それが、この時計の良さです。そのためにCADで設計するだけでなく、CADデータにプラスして最終のコンピュータグラフィックの完璧なレンダリングを渡して、とにかく完成イメージはこれだからと。
なりたい自分像みたいなものを投げてあげて、頑張ってもらう。
そうそう。それを見せることは大事ですね。
CHRONO TOKYOは、100本単位で製造される量産品。だからこそ独立時計師の作品としては採用できない製造技術を用いることが可能であり、普段の手作りでは実現するのが困難なアイデアも盛り込めるとのこと。ケースの柔らかなフォルムもその一つ。
この外装にしたって、側面がRになっているでしょ。
しかも、かなりヤバイRですよね。
そう。こだわりとしてあるんだけど、これを1個1個CNC加工機で削って作るのは難しいので、これは鍛造プレスの金型で作っているから実現している部分が大きい。金型で作るという原則によって、僕の想いがより一層込められている部分があるんです。
ラグの付け根からのラインも、すごいですよね。
普段の切削加工でもやりたいところではあるんだけれど、なかなか難しい。これは鍛造プレスの良さを生かしているデザインなんです。
浅岡さんがクロノグラフを作った理由は、そもそも大好きだったから。大学生の頃からTiCTACなどで古い時代の腕時計を何本も購入していたとのこと。要するにマニアさんだったのですね。昔のクロノグラフは文字盤を少しカーブさせていて、そのラインに沿って秒針の先が曲げてあった。それを現在もやっているのはランゲ&ゾーネとCHRONO TOKYOぐらいかも。ゼニスですら昔は曲げてあったのに、復刻板では曲げていません。
独立時計師の作品として制作されている腕時計の秒針を、ご自身の手作業で曲げ加工して組んでいるという体験がないと、こういう視点でものづくりができないですよね。
秒針、かなり細めで作っていますけれど昔のクロノグラフは相当細いんですよ。これだけ細くするだけでも製造のハードルは無茶苦茶上がります。
機械式のクロノグラフであれば、1秒間で何振動なのかが読み取れる秒針の細さじゃないとイケナイ。というのがマニアの要望だと思います。
針の細さもそうですけれど、このクロノグラフに搭載してあるセイコーのNE86ムーブメントは自動巻で8振動の機械だから、秒針の1秒間の目盛りは4分割にするのが正解。さすがにセイコーさんのモデルは4分割になっているけれど、この機械を使っている他のブランドでは5分割の目盛りになっていたりします(笑)。
ムーブメントの振動数という基本中の基本がわかっていない! そこはちゃんとして欲しいですね。その間違いに買った後に気づいてしまったら、すごく悔しいと思います。
CHRONO TOKYOでは、そういう部分はちゃんとやっています。
これ、最初の16秒くらいまでがパルスメーターになっていて脈が測れるんです。そのあとがタキメーター。そういうコンビネーションスタイルが昔のクロノグラフにあったんです。タキメーターって手前のところは速度がマッハとかになっちゃって意味がない。時速200km以降くらいで実用的な意味が出てくるので、その手前にパルスメーターを入れておけば無駄がないんです。
先人の工夫を、機能的なデザインとして盛り込んでいるんですね!
細かい数字はパソコンで作っているといくらでも読めるけれど、これを現実の30ミリの文字盤に落とし込んだ時にどれくらいの大きさになるかという感覚が難しい。だから、実際に出力してみて、このあたりが小ささの限界か?と検討する時に、昔から集めてきたクロノグラフの文字盤が参考になるんです。
今回の制作にあたり、ラピッドプロトタイピングをするプロセスはなかったんですか? いわゆるモックアップ的なものでサイズ感を確認したりとか。
CADの段階で相当案を出しているし、最近では経験知が上がったので、それはないです。時計で意外に難しいのは、ラグ穴の位置。ベルトを色々変えたとしてもスムーズに繋がってもらわないと困りますよね。今回は試作の外装が上がってきた時、その穴の位置だけ修正しました。
実際につけてみたら微妙に穴が上だったとか下だったとか。置いた感じと腕に巻いた時でもまた変わりますよね?
そう。変わる。そこでコンマ1ミリもない程度の修正を入れましたね。そこのところは独立時計師さんの他の仕事を見てみると意外に甘い。ラグ穴の位置がまずい時計は結構多いと思います。僕の場合は経験知に加えて3次元CADでベルトのデータもきちっと入力したものを持っていて、それをCAD上でシミュレーションして穴の位置を決めています。
浅岡さんの凄いところは、3次元CADなど最新の技術を駆使するだけでなく、古い腕時計やその時代の道具にも精通しているところ。SNSネタとして、日本のマニアックな模型メーカーが出している“デッケル社のフライス盤”のプラモデルをアップしていてのけぞりました。
デッケル社といえばカメラマニアにはレンズシャッターを製造していたドイツの精密機械メーカーというイメージがありますが、工作機械も作っていたんですね。
これはパティック・フィリップの本社でも使っているくらい伝統的なマシンです。第二次大戦のUボートにも積まれていたらしいですよ。
ええー! 潜水艦の中で部品を作っちゃうんですかね? なんだかスゴすぎる。
ちなみにこのフライス盤の本物を購入予定なんですよ。
プラモデルは、その予告だったんですね! 腕時計を作る時、フライス盤ってどういうことに使うんですか?
いろんな治具を作る時に、こういう高精度な機械が必要になるんです。
そこで見せてくれたのが、1年間に数個だけ完成に漕ぎ着ける腕時計のケースの側面を磨くために、その上下をしっかりとガードするための治具。真鍮の無垢材から削り出されていて、腕時計のケースをピタッと挟み込んでいます。完璧な仕事には完璧な治具が必要だから、全部完璧に自分で作る。美しすぎて鳥肌が立ちました。
今はマシニングセンタでやっているけど、フライス盤で作ると段取りが早いので。
この挟んでいる治具自体が芸術品ですね。ゾクゾクします。
CHRONO TOKYO用には、こんなものも作っているんですよ。
CHRONO TOKYOのためにマシニングセンタで樹脂を削り出して作られた治具。これも美しい! しかも樹脂製だから腕時計の裏蓋をアタックせずにエレガントに開けられますね。CHRONO TOKYOは、3針モデルもクロノグラフも6つのディンプルが裏蓋にあって、どんな道具で開けるのだろうと思っていたのですが納得です。
裏蓋の仕立ては、3針もクロノグラフもかなりモダンです。CHRONO TOKYOシリーズに共通していることは、デザインも設計も浅岡さんが責任を持って一人で完遂していること。そして、日本製のムーブメントを実装していること。文字盤や針のデザインエレメントは20世紀の名品を想起させるけれど、21世紀の技術を注ぎ込むことで生み出されたものであること。
浅岡さんは数多くの腕時計を見てきているし所有もされていると思いますが、好物の集中している年代ってありますか?
やっぱり、1950-60年代ですね。
まだアートとクラフトが未分化で、自動車なんかも独特の雰囲気がその時代にはありますよね。ブランドごとの個性もしっかり際立っていたと思います。
そうそう。CHRONO TOKYOの3針とクロノグラフ を並べてみても、同じ世界観が構築されているでしょ?
あきらかに、同じ人物の作品であるとわかります。
CHRONO TOKYOのシリーズは、ヴィンテージウォッチ好きを唸らせる雰囲気が一貫して流れつつ、仕立てがリッチだなぁ。と感じます。古い年代の腕時計って、例えば1960年代のスポーツカーと同じような脆弱感がありますよね。
今と比べると製造に関する技術は良くも悪くも原始的なんですよね。その感じは素朴な味わいとしては通用しても、そのまま現代に持ってくると貧相になってしまいます。だからデザインの佇まいはクラシックな感じを使いつつ、仕上がりとしては現代の最高級の作りなんです。そういう意味ではCHRONO TOKYOは中々今までなかったものです。
先人を尊敬しつつ、製造プロセスは精度の高い最新のもので突き詰める。
そう。だから全体として出来上がったものは、あくまで現在のラグジュアリーウォッチということですよね。
あと、CHRONO TOKYOの腕時計は手にした角度を変えながら眺めていると、短い時間軸の中でその表情が変わって、それが脳の中で合成されてさらにリッチな知覚体験が得られるのが気持ちいいです。写真で見るよりも更に奥深さがあって、3次元の物体として所有する喜びがあると思います。
そうなんですよ! 針や文字盤のテカリ具合をこうやって映り込みを動かしてみたりしたときの表情とかが大事なんだけど、それがスチルの画像だとわからない。普段、写真を撮ってSNSにあげるんですが、自分で撮っていて思うことは、中々実物の魅力は捉えきれないなということ。
いい腕時計を身につけるという体験は、写真を見るという行為よりはむしろ美味しい料理を食べる行為に近いのではないでしょうか。そういう意味でCHRONO TOKYOはシェフ渾身の一皿のような腕時計だと思います。本日は、とても素敵なお話をたっぷり聞かせていただき、どうもありがとうございました。
ライター。1964年 東京・日本橋生まれ。早稲田大学社会科学部卒。松下電器(現パナソニック)宣伝事業部に13年間務める。在職中から腕時計の蒐集に血道をあげ、「monoマガジン」で世界のどこかの時計店で腕時計を買い求める連載を100回続ける。2002年に独立し「Pen」「日本カメラ」「ENGINE」などの雑誌や、ウェブの世界を泳ぎ回る。著作「人生に必要な30の腕時計」(岩波書店)「ツァイス&フォクトレンダーの作り方」「Leica M10 BOOK」(玄光社)など。
浅岡肇さんがデザイン・設計する機械式腕時計「CHRONO TOKYO」、パイロット用ウォッチで名高いドイツの老舗ブランド「STOWA」など、注目アイテムを展開しています。
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